2012年3月23日、環境学研究科レクチャーホールにおいて、「名古屋大学大学院環境学研究科附属地震火山研究センター・2011年度年次報告会」を開催しました。
本報告会では、センターの柱となる5つの研究テーマに関する総合成果報告と、教職員・学生による15件のポスター発表に加え、木股文昭教授の最終講義を実施しました。参加者は名古屋大学内外から約80名にも上り、各講演を通じて闊達な議論が行われました。
とくに、木股教授による最終講義「「二万人の視線を感じながら次の巨大地震に備える」では、現在の防災体制に関して2004年スマトラ島沖地震などの過去の事例に基づいた考察がなされ、地震津波災害に備えて生き抜いてゆくための力強い提言がありました。
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木股文昭教授 最終講義
「二万人の視線を感じながら次の巨大地震に備える」(講演要旨)
2004年スマトラ地震津波でアチェは10万の人々を失った。彼らは津波に襲われてから、アチェ語の津波イブーナを思い出した。長く続く揺れに遭遇しても津波を思い出さず、海岸線に近い町内ほど多くの人々を喪った。
2011年3月11日、気象庁は直ちに大津波警報を発し、沿岸では辻々の緊急防災行政無線から避難命令が流れた。海岸には大防潮堤が築かれ、8日前に津波避難訓練を行っていた。津波波高の過小評価を除けば、まさに万全の体制で津波を迎えるはずだった。私たちは迅速に警報が出されば人々を津波から救えると思い違えていたようだ。防災行政無線の充実だけでは人々を救えないことを示した。
「駿河湾地震迫る」との若い研究者の指摘を、政府は「次の地震防災は東海、予知して戒厳令のような地震警戒宣言で」と意識的にずらしてしまった。当然、大きなツケが回った。「明日にも」といわれながら35年が経過し、その前に内陸直下の1995年阪神淡路大震災が襲った。未だに東海地震調査情報も2008年駿河湾地震では20%の人しか理解できない。警戒宣言で電車を停め、動けないにも関わらず、帰宅が強制される。帰宅できないのに未だに再検討されない。
一方、次の南海海溝の巨大地震は20ー30年後をめどに、駿河湾から四国沖までが連続的に破壊する確率は極めて高い。その時、高齢化は日本全体で30%、紀伊半島や四国は50%となる。
もう、政府主導の防災体制では人々を救えないことが明らかになる。なぜなら、地域も救う策を有さないからだ。防災も、政府や県が与えるものでなく、地域、市町村で私たちがいかに備えるかを考える以外に手はない。研究者も政府の問題点のすり替えを明確にしつつ、100年に1回の巨大地震に遭遇する研究者に期待する。
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