火山超雑学クイズ

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出題クイズ

Q38
立山黒部アルペンルートの南側にある巨大な窪(くぼ)地は、立山カルデラと呼ばれています。立山カルデラは、その成因から「何カルデラ」と呼ばれているでしょうか?
出題者(國友孝洋)

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A38
侵食(浸食)カルデラです。

解説
立山カルデラは、富山県の立山・弥陀ヶ原台地の南側にある東西約6.5km、南北約4.5kmの巨大な窪地で、複合火山である立山火山が、繰り返される山体崩壊と侵食によって形成された侵食(浸食)カルデラであると考えられています。跡津川断層の東端に位置しており、カルデラ内には、その延長部が来ているとみられています。1858年の飛越地震(マグニチュードは7.1)では、数億立方メートル規模の山体崩壊(大鳶崩れ)が発生しました。このときの岩屑なだれで30余名の方が下敷きとなり、続く地震と土石流で、溺死者140人、負傷者8千945人となる大きな被害になりました。現在も、大規模な砂防工事が続けられており、立山カルデラ内には、工事関係車両以外の乗り入れが禁止となっています。一般の方は見学会(体験学習会)などの際にしか入ることが出来ません。

参考文献
立山カルデラ砂防博物館ホームページ「立山カルデラって何?」
http://www.tatecal.or.jp/tatecal/index.html
立山カルデラ砂防博物館ホームページ「鳶崩れと安政の大洪水」
http://www.tatecal.or.jp/tatecal/sabo/sabo-7.html
立山カルデラ砂防博物館ホームページ「体験学習会」
http://www.tatecal.or.jp/tatecal/taigaku2019/db_taigaku.html
中野ほか(2010)立山火山, 地質学雑誌, 116 補遺, 37-48.
野崎・菊川(2012)立山カルデラの形成と深層崩壊の歴史ー鳶泥と国見泥ー, J. of the Jpn. Landslide Sco., 49, 4, 44-51.


六九谷(ろっきゅうだに)展望台から見た立山カルデラ東部(2017年9月26日國友撮影)。
多枝原平(だしわらだいら)は、1858年の飛越地震で発生した大鳶崩れの土砂(鳶泥)が堆積した平地です。その横に刻まれた谷には砂防ダムが築かれています。大鳶崩れのような大規模な災害で形成された地形のスケールを砂防ダムと比べると、いろいろ考えさせられるものがあります。

多枝原平(だしわらだいら)展望台から見た立山カルデラ北東部(2017年9月26日國友撮影)。
国見岳の後方に、立山観光で訪れる室堂平があります。この日の見学者は、地震・火山研究者一行と野外学習の小学生でした。立山カルデラの体験学習会では、博物館が用意するヘルメットを着用することになっています。なお、中央の石碑は文学碑で、幸田文「崩れ」からの一節が刻まれています。